30歳・ギリホリしたっていいいじゃない

アラサー向けワーホリ実行3STEP講座

30歳。ワーホリに行かなかったことを後悔してほしくない

こんにちは。

私は30歳でカナダ・ヌナブト準州という、「どこ?そこ?」というレベルの場所でワーホリを行い、その後バンクーバーなどをふわふわしたあとに現在は帰国しています。

このブログでは、30歳でもワーホリしていいんだ


ぞ!というお話をしております。

今回は、「私が日本を離れた理由」について、ワーホリに至るまでの10年を振り返り、レポート並み長文でお届けします。

お恥ずかしながら、現在はすでにアラフォーも間近!!!え、怖っ!!なくらい日々がすぎていますが、でも、何かに迷っているアラサー世代に伝えたいと思い書くことにしました。

要約はこちら。

 

  1. 海外留学と震災をきっかけに漠然と"日本"への興味を持つ
  2. しかし、そもそもの「働く」ことに悩んでしまったり、勉強するほど日本の(特にジェンダーへの)空気/同調性に違和感を感じ"生きづらさ"という思い込みを持ってしまう
  3. 転職や脱都会生活をして、日本での生活に今は未練はない。ちょっと自分に我儘になったら巡り巡って海外に行きたい、という深層心理に気が付いたよ

1.20歳の留学経験と3.11後の日本が大きなきっかけ

遡ること10年前。20歳のとき、私はドイツに留学をしました。
大学の“外国語学部“の中でドイツに関係することを学んでおり、提携校ではないドイツの大学に自分でapplyして留学しました。(真相は、学内選抜試験に落ちた笑)

物心ついてから初めての海外。初めての親元を離れた生活。

英語を一切使わないドイツ語での生活は毎日が驚きの連続で、写真(当時はデジカメ)を撮ったり日記を書いたりする日々。怖いもの知らずでたくさんの経験をしました。

併せて、日本人が3,4人しか居らず、日本について説明をする機会も多々ありました。留学生あるあるかもしれないのですが、そのときに私は酷く困惑したのです。

「日本について、私は全然知らない…!」と。

とても漠然とした困惑なのですが、政治制度、宗教や働き方、教育制度など。日本にいる限りは、同じコンテキストの中で生きている同一人種ばかりだから説明は不要だけれども……ということばかりでした。

更に、日本では3.11東日本大震災が起きました。
出国1週間後の出来事でした。

関東圏ですが、私の家族も1日避難&しばらく断水状態が続く生活を強いられ、その様子が描かれた手紙を読んで泣いてしまいました。

日本では「絆」「身近な人との関係」「手の届く範囲の幸せ」=比較的ドメスティック重視の価値観が強く表れた時期のように感じます。だから、そういうのを特集した情報も溢れていました。

こうしたマクロな外的要因と併せて、冒頭に書いた私の内的要因から、日本への興味 / 欲求 /愛着がわきました。これが、私の初めての海外留学経験で得たことでした。

2.外国語学部卒業の私が、日本地域社会学ゼミで感じたこと

帰国後は、逆カルチャーショックに苛まれる日々でした。

日本人が暗いな、と思い、人が密集する満員電車に乗れなくなりました。
「電車の中で無表情なのは当たり前。逆に笑っていたらこわいでしょ」とほぼ100%の人にバカにされましたが、空気として、説明できない息苦しさを感じることがよくありました。

そんな風に「日本って、一体何なんだ?」と思っていた私が入った大学のゼミが、外国語学部にいながら日本について学ぶゼミでした。

3.11の津波の跡地に行ったり(写真の通りです)、都会から移住をした人たちの家に泊まったり、ジェンダー論、婚活について、教育格差や若者の価値観などについてなどを幅広く学びました。

そういう生き方もあるのか、とたくさんの衝撃を受けました。(今でいう「ソーシャルイノベーション」みたいな考え方でしょうか。)

画像2

「大学で何を専攻したの?」と言われると未だに回答に困ります。(肩書は「外国語学部卒業」、留学経験もあるため)

でも、私はこのゼミの2年間を通じて、とても漠然としていますが“日本“や“地域“にこだわった仕事がしたい、を1つの軸として就職活動を行いました。

3.「女」「日本」「生きづらい」の検索結果

さて、いざ、会社員です。

その前に、試しに、今すぐに検索サイトで上記タイトルの3ワードを入れてみてください。そして数ページ分、ざっと目を通してみてください。

結論から言うと、

それらのうちいくつかが、20代の私が会社に入ってから感じてしまったことでした。

そのおかげで人材戦略やそれにまつわる勉強ができたのは幸運でしたが!

私は、日系大企業2社を経験しました。どちらの会社の人達も、未だに連絡を取り合う人もいるし、いいところもたくさんありました。1社目の転職理由を2社目ではものの見事に叶えられたし、総じて言うと私はどちらの会社も(間違いなく所謂ホワイト企業で業界的にもすばらしい)、人もすきで、でも、だからこそ、自分に正直になりたくて辞めました。(書き方って難しいっ!)

会社1つ/上司や部署の人達1人1人がどうこうできる話ではなく、ただ、私は日本が抱える全体の空気感(特にジェンダーに関する)にやられてしまったのです。

学部時代に学んだことや自らの体験や人からの話、広告から感じ取る「女=〇〇」というメッセージング / かわいくきれいであることを求められる社会や職業バイアス / 女性活躍(笑) / 日本企業のいろいろな不思議な慣習 / 見なくてもいいのに流れてくる「男=〇〇」という週刊誌ネタ / 悪気のない男性の自論(と、思うのは偏見であるw) / 日本での子育てに関する辛さを助長するネットニュース etc.

気にしなければいいただの情報に対し、勉強したからこそ他人よりとても敏感になってしまいました。

留学をしていたことが珍しく、価値観があわないってことを如実に感じました。周りからは「いい会社に入ったね」ってたくさん言われたんですけれども、家に帰ったら、毎日何もしていないのに涙が流れ、少々宗教染みた自己啓発本を読みながら暴食していたら気が付いたら20kg太りました。ワオ!

比較的女性や女性性が強めの異性が多い環境で育ってきたので、いわゆる男社会の暗黙の常識が理解できないのも苦しんだ原因でした。(うまく対処する女性たちを毎日羨ましく思っていました)

大学では経済学などを何も学ばず、社会の構造や哲学的なこと、どちらかというと右脳寄りで答えのないことを必死で考えてきたため、"そもそも働くとは"ということから躓き、ビジネスのこともわからずに会社に入り、自分が持っている視点と全然違う話に、「脳みその構造が違うな~」と、毎日考えていました(笑)。

つまり、まぁ一言でいうと違いを認めることが出来ないまま、必死で外から求められる"普通"になるために自分を抑えて順応しようとしたわけです。

そんな25歳前後の自分に今、何か声をかけられるとしたら、「いや、病みすぎやんw二項対立しすぎでしょ。大変なことは芋づる式に引き寄せられるし、それは自分の気の持ちようだよ」と言いたいです(苦笑)。

怪しいいろんなものに数十万円もお金使うくらいだったら、ぽーんと海外旅行でも行けばよかったんですよねw

4.手放したときに見えた「海外」


そんなこんな生活していた私が「海外に行きたい」と思ったのは、2社目での経験がとても大きいです。

実は私、2社目は1年で退職しています。青いRがつく某会社です(笑)
「社風が合わなかった」など推測をしている人もいそうですが、全く違います。

こんなにおもしろい人たちがいるのか!という環境でした。本当にいい会社すぎて、「私はどうなりたいの?」という話を周囲と徹底的に行った結果、「海外」という名詞が最後に残った、ただそれだけのことでした。

2社目では、毎日たくさんの個人のお客様と会うことがあったのですが、「海外」というワードで話をするときに「羨ましい」と思うことが多々ありました。「羨ましい=自分もやりたいこと」。あらなんて簡単な方程式!!

海外と接点を持って働く=ドラマに出てくる商社マンみたいにスマートで仕事人間で男性社会に揉まれる人間、という偏見があり、「私には無理」と思っていました。

また、既述の留学時代も含めた大学時代に語学力(英語)の限界を感じてしまい、とてもじゃないけれども外国語を使って働くなんて無理!とできないことばかり考えて「海外」「外国語」から逃げるように就職活動をしていたのも事実でした。

私はこの内容の一節が、痛いほどよくわかります。

英語が話せません。丸暗記のザ・受験英語でなんとか合格した私は、入学と同時に挫折しました。多くの同級生が英語を話せたんですもん。英語は大学で学ぶものじゃなく、専攻語を学ぶ時に使うもの、話せて当然のものだったんです。(サイトより引用)

が、これらはすべて恐ろしいほどネガティブな「思い込み」というやつでした。

私は国家資格キャリアコンサルタントの資格を持っているのですが、資格勉強の際に心理学やキャリア理論を学び、自分事に落とし込んだのはとてもいい経験になりました。

3の事象もそうですが、会社員になってから何事も比較的ネガティブな方向に拡大解釈する癖がついていたんだな、と実感しました。

日本について学びたいと思って挑んだ20代でしたが、30代目前にして見えてきた本音は、「やっぱり海外に行きたい」だったと気付くことができました。

その気持ちが解決できないまま何をしてもすごくもやもやして、120%の成果を出せていないと言い訳をしていることに申し訳なささも感じていました。(マネージャーやチームのみなさんの人間が出来すぎていて本当に感謝しています…)

そんなわけで、自信がなくて"本音に蓋をした頑張り"によって膨らみすぎた風船を、いったん意図して破裂させてワーホリビザ取得に挑みました。

ギリホリです。でも、ここでやらなかったら後悔する未来しか見えなかったので、動きました。

ちなみにいきなり海外にはいかず、その前にリゾートバイトや農業をして、東京以外の日本での生活も行いました。

「日本が嫌」というネガティブ感情をそのまま放っておくのではなく、「日本でやりたいことをやりつくした。未練はない。だから海外に行きたい」、というポジティブな思いを作ろうと思ったのです。

10年を通して「ここまで極端なスローライフ生活は違うな」という基準もできていたり、学生時代よりもビジネス思考が身についたりしたので、自分の心地よい出会いがたくさんありました。

5.結論:海外に行けば解決されるわけではないけれど海外に来てよかった


そして、日本でやりたいことをやりつくし、ドイツ留学から10年後、無事海外に飛び立ちました。

コネもないのにカナダを選んだのはダイバーシティに富んでいるという勝手な憶測があったからです、単純!

「隣の芝生は青く見えたから海外に行った」、というよりかはむしろ、10年間のうちにfrom "海外" to "日本"(しかも「超」がつくほどのドメスティック企業))⇒からのプチ脱サラ&移住、という振り切り経験を行ったので、1周して自分の取りたいバランス地点が見えた

と言ったほうが正しいと思っています。

 

もちろん、3で書いたような問題は海外に行けば即刻解決されるものではありません。

だから、私はもし誰かに相談を受けたとしても「会社辞めちゃえば」とか、そういうアドバイスは簡単にしない、と決めています。

海外では様々な壁があります。海外といってもいろいろな国があります。しかも、海外が生きやすい信仰=メディア情報が入ってこないから情報に押しつぶされることがない=英語がわからないことを認めている、という矛盾も生じています。

このブログは、基本的にはワーホリや留学を肯定的に捉えていますし、「やっちゃえば?」という趣旨では書いています。

でも、「やってよかった」と思えるかどうかは、あなたの考え方にもよるところがあると思います。

30歳のワーホリは、10年前、すべてが輝いて新鮮に見えた留学の時とは確実に違い、自分の成長を感じ、ある意味肩の力をおろして「普通」に「冷静」に海外生活を送りました。

日本に戻ったとき、自分の気持ちのバランスを意識することができるようになりました。これこそが、30歳でワーホリをした成果だと思っています。

当時の自分の行動を見た時に、「結局何がしたいの?」ってなっていた人もたくさんいましたし、よくあるギリホリ独身女子ね、となっている人もいました。

けれども、そういうのは特に気にせず。

結論、“私は“日本を出国して、本当によかったです。

もし、読者の皆様に女性のお子さんがいる場合。
たった一つ願うとすれば、彼女たちが成長したときに私と同じような検索ワードで苦しむことがありませんように。